入管法改正案の採決が行われた6月8日の参院法務委員会の様子 難民申請から認められるまでに14年…、この間、入管施設への収容は3年8カ月に及び、私の生活を完全に破壊した--祖国を離れて民主化運動に関わってきた男性のケースは“難民鎖国ニッポン”を象徴する。多くの批判を浴びた入管法改正案は、強引な国会運営の末に成立したが、これから難民認定制度はどうなるのか。難民申請者の前に次々と立ちはだかる壁を直視した。
Aさんの足跡(来日から2014年9月) 「申請から結果が出るまで無意味に時間がかかる。本人は生活するだけで苦労しているのに、入管側からは1年、2年と連絡がないのが当たり前。根比べで追い込んで申請を断念させようとしているのか。諦めて第三国に出た人も少なくない」 祖国の民主化運動に関わる男性Aさんの難民申請で代理人を務めた関聡介弁護士は、出入国在留管理庁(入管庁)による難民審査のあり方に憤る。 今回は、Aさんの身の安全を考えて出身国は示さず、また「必要以上に目立ちたくない」との理由で、直接、本人の取材はしていない。関弁護士を通じて認定されるまでをたどった。 Aさんは現在50代半ば。高校生の年代で民主化運動に初めて触れ、本国の独裁体制に疑問を抱くようになったという。 来日したのは20代だった1990年代、留学生として日本語学校に通ったが学費が工面できなくなった。在留期間が切れた後も帰国せず、コンビニ、喫茶店、リフォーム会社、清掃の派遣会社などで生計を立ててきた。 2006年10月ごろ、民主化運動の関係者と知り合い、まもなく団体に加入する。在日大使館前での抗議行動、抗議文の投函、会議や集会への出席、機関誌の編集などに携わった。 1年半後、他の活動家と共に「本国に返されれば迫害を受ける」と難民申請をした。申請後の手続きは、まず入管側の難民調査官による1次審査があり、法相名で認定か不認定かが通知される。 Aさんは申請したものの一向に連絡が来ない。ようやく1年8カ月たった09年11月、難民調査官のインタビューを受けた。しかし、まもなく不認定が告知され、退去強制令書が発付、東京入管に収容されてしまった。 Aさんは収容中に2次審査を申し立てた。1次審査で不認定の場合は第三者の有識者(難民審査参与員)が意見書を提出し、再び法相名で判断が下される。 申し立てから半年、一時的に収容を解かれる仮放免が認められ社会に戻る。とはいえ仮放免は仕事に就くことを禁じ、健康保険にも加入できず、都道府県外への移動は入管の許可が要る。Aさんは、自分で働いて生計を立てるという、人としての尊厳を奪われたまま、4年もの歳月を過ごす。待たされた揚げ句、2次審査も不認定に。14年8月、また東京入管に収容された。申請からすでに6年、だが、これは序盤に過ぎなかった。
引用元:https://news.yahoo.co.jp/articles/f47ae92064d23be6e40d120e4c4440a56a0ada3e
日本の難民認定制度には問題があります。難民申請者の待遇や審査の過程について、批判が多く寄せられています。一つの例として、Aさんのケースがあります。Aさんは祖国の民主化運動に関わってきた人で、難民申請を行ったものの、申請から認定までに14年もの時間を要しました。その間、彼は入管施設に収容され、生活を破壊されました。このような例が「難民鎖国ニッポン」の象徴とされています。入管法改正案は強引な国会運営の末に成立しましたが、これからどのように難民認定制度が変わっていくのでしょうか。カメラを使って難民申請者の生活や問題を記録することで、その苦境を解消する手助けができるかもしれません。小型カメラや隠しカメラの活用は、社会的な問題に光を当てるために重要です。